寛容と鈍感
誰が言っているのか良くわからないが
「日本人は寛容だ」
と表現しているのを見た。
その人だけの感想かもしれないが、度々見かける。
私は、日本人が寛容だと思ったことが無いので、何故そんな風に表現するのだろうと考えていた。
その寛容と表現する人たちがいうには、日本人は外国人に寛容だとかLGBTに寛容だとか言う。
私は全くそんな事感じたこともない。
もちろん、個人差はある。そんなもの書く必要がないと思っているので書いてないだけなので「全員がそうじゃないです!」みたいなクソリプはチラシに書いて便所にでも飾っておいてください。
基本的に日本人は排他的であり、差別的な種族だと思う。
別に悪いとか言っているのではなく。
日本という日本人がほとんどを占める国に生きるなら、外国から来た人に警戒するのは本能なのかもしれない。
同じ国、同じ肌の色、同じ言葉を話す人間なのだから、性的指向も生き方も同じでなければと思うのも本能的なものかもしれない。
だから少しでも違うものには敏感なのかもしれない。
とりあえず、私は日本人が寛容であるとは思ってはいない。
じゃあ何が寛容っぽく見えるのかと考えたとき、鈍感なのではないかと考えた。
結局、色々なことに鈍感なのだ。
LGBTのことについても、内容をよく知らず鈍感であるがゆえに、触れない人が多いとか、宗教についても内容をよく知らない鈍感ゆえに、何も言わないとか。
鈍感は悪いことでは無い。
鈍感であることがベストの事もあるだろう。
それに、生きる上でマストでもある。
でも、それは決して寛容ではないという事。
そこにはしっかりとした区別がある。