善意の受け取り拒否権
善意、相手を思って行うこと。施し。
したことはあるだろうか。
例えば電車に乗っていた時、子連れの人に席を譲ろうと立ち「どうぞ」と言ったとして、
その人が「いいえ、結構です」と断ったとする。
この時どう思うか。
「せっかく譲ってやろうと思ったのに、親切を踏みにじった嫌なやつだな!」と思ったり「せっかく譲ろうと思ったのに断られました…ショック…」とツイッターに投稿したり、「なんだ譲ってやろうと思ったのに!」と言う人が居るかも知れない。
自分の善意を受け取ってもらえなかった時、まるで自分の善意を全否定されたと思う人が少なくない。拒否どころか、攻撃されたと思っているかのように言っている人すらいる。
だが待って欲しい。
善意を行う人には行う自由があるように、受け取る人にはそれを受け取るかどうか決める権利がある。
つまり、「善意の受け取りを拒否する権利」がある。
この権利を知らない人が多いように感じる。
以前ツイッターで、的外れの善意は迷惑だというツイートをしたら
「人が心を込めて善意で言った言葉が迷惑だというんですか!」
というリプが来た。そういうとこだぞ、の見本だった。そういうとこだぞ。
どんな素晴らしい言葉だと思って言ったとしても、受け取る本人は絶対受け取らなければいけないなんてことは無い。
受け取り拒否する権利がある。
東日本大震災の時、ツイッターで絵師たちが被災者へ絵を描いて応援しよう!となったが、被災者のひとが「TLが絵で溢れて目的の情報にたどり着けない事があるのでやめてほしい」と言ったら「せっかく描いてやろうとしたのに。何様だ、被災者だからって偉いとおもうな」と言い出した人がいて驚いたが、まさしく今回の話の事だ。(※もちろんほとんどの絵師さんはそんな事言わなかったが、当時リアルタイムで見ていて驚愕した事を強く覚えている)
善意の受け取りを拒否したら、善意を否定されたと思い逆ギレしたのだ。
たとえどれだけ心が込められていようと、善意しかなかろうと、受け取る本人にとってそれが迷惑なものなら、嫌がらせだ。
善意は時としてナイフとなり突き刺さる。だが善意をするなという意味ではない。相手が受け取らなかった時に「何で受け取らないんですか!酷いです!」というクソリプをするなという話だ。
「善意から行われる全ての行為は受け取らなければならない。お前が嫌でもな!」という精神は今すぐ鼻をかんで丸めてゴミ箱に捨てて欲しい。
「善意はあくまで自分から相手へ勝手におくるものであり、相手は拒否する権利がある。拒否されてもそれはその人にとって必要でなかっただけの話で逆ギレはしてはいけない」という考え方が浸透して欲しい。
というかしてくれ。
マジで。