えらーさん。が何か言っているようです

140文字からはみ出した話

キリンビバレッジの午後ティー女子について私が考えていた話 その2

前回の記事はこちら

rororonron.hatenablog.com

 

私がアデノウイルスで死にかけている間に早くも忘れられていそうな既に鮮度の切れたネタだが、私が勝手に考察した事を書きたいと思っているので、炎上について続きを書く。

 

前回はキリンビバレッジの午後ティー女子のイラストで何故炎上したのかを考えたので、今回はその炎上した記事に対して起こった反応について考えていく。

 

まず、Twitterに例の記事が投稿されて、多くの批判や意見がリプライされた。

そして、その批判や意見に対しての反応も多くあった。

 

その中で一番気になったのは「これを作ったのも女だ」と必死で言って回る人の存在だ。これが一人二人ではない。多くの人が言っていた。しかも愉快そうに。

私は最初全く意味が分からなかった。女性が作った……?だから……??だ。何故こんなにもトンチンカンな事をしかも愉快そうに言って回っているのだろうと考えた時、色々な事が線で繋がった。

 

その人達は、何を言っているかではなく、誰が言っているかが一番重要だと思っているのだ。

 

そして、今まですっきりしなかった「おっさんだから何を言ってもセクハラになる」や「イケメンならいいんだろ」の意味が分かった。

そう、「何を」言っているかやっているかではない、「誰が」言っているかやっているかだと思っているのだ!

 

この解釈違いに目眩がした。

そりゃいままでいくら話を聞いても意味が分からなかったはずだ。だって、「何を」言っているかやっているかという話をしていたのだ。本質の話をしていたのに、「誰が」の方に焦点をあてて見ている人がこんなにも多く居たなんて。目眩のち脱力。まさしく、脱力。

 

つまり、おっさんだからセクハラなのではない。おっさんが問題なのではない。セクハラが問題なのだ。イケメンならいいんだろうじゃない、イケメンの話をしているのではなくその発言や行動の話をしている。今は外見の話は全くしていない(その人やその話によっては外見の話をしているかもしれないが、“今”はしていないという意味だ)

 

人はもちろん分かりあえないし、理解しあえない。でも、何を考えているかどう思っているかを知る事は出来る。そして、何を大切に思っているかを知った時、自分が理解できなくとも相手がそれを大切にしているなら尊重すべきだと思う(もちろん犯罪や誰かに危害を加える発想や行動は除外)

 

誰かがその表現方法に怒り、声を上げている時、それが理解できなくとも「たかがこんな事に喚き散らしてるのウケるw」と言う必要は無い。その人にとって大切な事なのだなと思えば終わる話だ。自分が関係ないと思うなら、尚更。

 

他人が声を上げる時嘲り笑うならば、自分が声を上げた時嘲り笑われる。そういう世界を作っているのだから、もちろん自分が対象にもなる。自分の番が来る時の事を想像し、行動する事。私は何度も言っているが、地球は丸い。やったことは返ってくる。やった事が世界を作るからだ。

 

自分がどういう世界に住みたいか。それを考えながら日々生きる。